重さのあるおんぼろ長屋の窓に反射したお豆はお豆か

雑記

皆さま御機嫌よう。

高校・浪人時代と哲学に魅せられて倫理を学習しまくっていたお豆は哲学が大好きなのです。

自分とは何か、他者とは何か、その間に流れる持続性(時間)とは何か・・・

このように、いわゆる、形而上的な問いを小さなころから漠然と考えるのが好きで高校・浪人時代は独学で倫理を学習しお豆は大好きなのに三島由紀夫が大嫌いで有名なサルトルの本を読み漁っていました。

社会人になって疎遠になるかと思いきや日々の生活でもやはり形而上的な問いかけをすることが多いです。

散歩で行きついた今にもビルに飲み込まれそうな朽ちた長屋の窓に映るくすんだお豆。間違いなくお豆ですが輪郭は薄いです。何をもって自己を定義するかにもよりますが、大阪トップクラスの汚い反射でぼやけたお豆もお豆以外の何物でもありません。少なくともお豆が汚い反射によってキムタクとなってお目目にこんにちはすること何てありえませんから・・・背理法であれはお豆なのです。

お豆があんな汚いはずはないし、もっとくっきりしてるわ!

どうか他者であってほしいと心から願いますが、

汚い窓が重さをもってしまい持続性の中に確かに存在しており、その前に立ってしまったお豆を自然科学の法則に従って反射させてしまっただけ。

この事実は変えられません。

自分を受け入れておんぼろ長屋がビルに飲み込まれないことを祈るか、いち早く飲み込まれてしまえと祈るか・・・

究極の選択に今日も明日も悩むでしょう。

そんなどうでもいい事に悩める幸せな青年に送りたいのがこの一曲。

幸せなピーポーに送りたい曲はほかにもありまして、この記事で紹介しているので合わせてお読みください。

いじょう

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